ぼでーが何かをしようとする墓場

アイドルマスターシンデレラガールズの櫻井桃華を、自分なりの愛情表現で愛するいわゆる自慰的ブログ

桃乾杯していこうなという話

この記事はシンデレラガールズ Advent Calendar 2017 - Adventarの12日目の記事になる。
昨日はごっちさんの
アイドルマスターシンデレラガールズ ビューイングレボリューションの所感(今更) – ごっちの日記 – Medium
であった。
あと、この記事は正常な思考回路を桃にする恐れがある。
読了するにあたって思考回路を侵されたくないという人は、1分45秒毎に48秒の休憩を挟むといいだろう。
ちなみにこの記事に技術的要素は無い。そういうのを期待してしまった人はすまない。
この記事は読み物として読んでもらえるとありがたい。

桃乾杯?

ところで12はめでたい(愛でたい)数字だ。
数学的に完全と呼ばれている。
1年は月で12分割されているし、午前午後はそれぞれ12時間ずつ。
1ダースは12個。
そして、小学校6年生は丁度12歳だ。
そうそう、12歳といえば櫻井桃華だ。
彼女は数学的に完全であることから、もはやこの世の理を表しているものだと思われる。

我々人類は、めでたい事には祝杯をあげる文化が存在する。
嬉しさ、感謝、様々な喜びの感情がその祝杯にはのせられるが、そのときの掛け声は「乾杯」だ。

当然、乾杯といえば櫻井桃華だ。
やはり彼女は日本語文学的にも完全であることから、桃華+乾杯=「桃乾杯」と連結することができる。
「桃乾杯」は立派な祝辞であるからして、彼女に普段から感謝しつづけている我々にとっては、
「桃華み」を感じるお酒を掲げながら「桃乾杯」と声高らかに言うのが正しいマナーと言える。
これは”ちゃマナー”と呼ばれるが、「桃乾杯」を知っていれば、ちゃマナーに厳しい紳士にも一目置かれる存在になること間違いなしだろう。

桃乾杯と真理

正直に言うと筆者は執筆時点でこのサブタイトルを直感でつけた。
さらに正直に言うと、筆者は脳で何も考えずほぼ脊髄反射でキーボードを叩いている。
UbuntuvimMarkdownで書きながらあとではてなブログにあげようと思いながら、ひたすら執筆しているわけであるが、
とりあえずこの章で言えることはもうタイトルで言い尽くした感がある。
だからこの先何を書こうか全然執筆時点では考えていないわけだが、あえてその真髄に対して筆を走らせることにする。

「桃乾杯」は真理だ。
いや、何が真理だと画面の前でこの文章を凝視しながらぼでーの気持ち悪さに?マークを浮かべるのは間違いだ。
桃乾杯が真理であることは、至極正しい。
何故か?
それは桃華Pはほとんどの乾杯する場面で桃乾杯をしがちだからだ。
わざとやっているのではなく、それはまるで深夜にラーメンテロTLを見るとお腹が空いてしまいがちになるように、
乾杯の場面では必ずといっていいほど桃乾杯をしたくなるのだ。

桃華P、こと筆者に関しては”ももか”という言葉に繋がる単語やそれが含まれる単語に敏感だ。
その性質上、”かんぱい”に対して”ももか”が繋がるのであれば、もはや桃乾杯をしない手はない。
桃乾杯は脊髄反射で行われる行為であり、そしてこれは生物学上仕方のないこと=ある意味人間として正しい行為を行っていることになる。
つまり、桃乾杯をするということは、人間として正しい行為であるからして、つまりそれは真理だ。

ここで読者は大局的に二分されることだろう。
腕を組んで黙って頷く私の同志、こいつは頭がおかしい とやや嘲笑気味で文章を読むP。
シュレディンガーの猫も真っ青な重ね合わさった読者の状態を生み出すこの文章も、桃乾杯という真理が生み出す現象の一つに過ぎないのだ。

ただ私の経験上、桃乾杯は「フレデリ乾杯」や「ふみ乾杯」などと相性がよい。
相性が良い乾杯とは肩を組み飲み明かすことができる。
またそうでなくても、桃乾杯に身を委ねることで、その真理に触れ、桃華Pの心を手に入れることも出来るだろう。


桃乾杯は真理なのだ。

桃乾杯を用いていこう

さて、前述の通り、筆者は脊髄反射で文章を書いている。
このサブタイトルも察しの通り、脊髄反射でつけられた。
この文章を書きながら何を書けば良いんだ俺と自分で突っ込んでいる。
前章で話を締めくくればよかったのに、「やっぱり二章ぐらい本編がないと内容がないよう〜〜〜なんつってw」となったぼでーの思考回路は
やはりどこかおかしいのだろう。
この先の文章は前章よりその真理(狂気)に触れていることを約束しよう。

桃乾杯は様々な場面で用いられる。
某映画で有名なセリフ、「君の瞳に乾杯」は、本当は「君の瞳に桃乾杯」の予定だった。
しかしそうしてしまうと見た人全員が桃乾杯に触れて桃華Pになってしまい、他Pからのブーイングが起こりかねないとの事で国連によって止められた。

この例に示すように、桃乾杯は相手に様々な影響を及ぼす。
例えば、プロポーズをする場合を考えてみよう。

舞台は神戸の街。
綺麗な夜景を望むレストラン。
そしていい雰囲気のクラシックと共に食事のコースも終盤。お互いに喋ることが何となく憚られ、少し静かで穏やかな空気が流れる。
最後の料理が運ばれてくる。贅沢に桃を使用したケーキだ。
そしてソムリエが桃のフレーバー香るシャンパンをグラスに注ぐ。

そしてここで決めるわけだ。
「桃乾杯」

上品に重なるグラスの傾きと共に、彼女の心も傾く事間違いない。

桃乾杯 そして

このサブタイトルに意味は無い。
強いて言うなら、終章として良いサブタイトルが思い浮かばなかったからつけたという感じだ。
桃乾杯はなにも桃華Pだけではなくて、誰もがやる権利を持ち合わせている。
せっかくの権利なのだから、やらない手は無い。
なので、みんなで積極的に桃乾杯をしていこう。

ほら、手に持っているグラスを傾けて。桃乾杯!!!

明日は、@keisuke495500さんの Seq2Seqモデルでみりあちゃん対話ボット作った話 だ。